2016年03月03日

『マイ・ファニー・レディ』を観て

「淺越さん観たら10兆点つけますよ」
信頼している筋からそんなレコメンド受けて観に行った『マイ・ファニー・レディ』。
10兆点なんて軽く、だった。
こういうコメディが作られてて、まだ劇場公開されてて、それをスクリーンで観られて、そしてそれで笑える。それが本当に嬉しかった。

妻に隠れてコールガールを呼ぶ演出家。女優を夢見るコールガール。
コールガールに恋してしまう脚本家。その彼女はコールガールのカウンセラー。
主演女優は演出家の妻で、相手役は彼女を狙う軟派な映画スター。
そしてコールガールを尾行する謎の男。

、、、書いていてこっちが恥ずかしくなる。まるでどっかの粗製小劇場コメディみたいなベタベタなあらすじじゃないか。
だが、隠したり誤魔化したりするのはヘナチョココメディリリーフ男優やらせたら間違いなしのオーウェン・ウィルソン(a.k.a.鼻曲がり君)で、監督はピーター・ボグダノヴィッチで制作がウェス・アンダーソン。あとヒロインが超好み。
その他実力派コメディアンで、「(ノック)バスルームに隠れろ!」とかやるんだぜ。最高かよ。
こういうコメディ観てあんまり笑わなくなってたんだけど、久しぶりに映画館で声出して笑った。
正直なところ思い入れはたっぷり。こういう笑わせ方、手法はまだ生きているんだって。それを武器に映画一本作れるくらいまだ生きているんだって。それが嬉しくって楽しくって、それで笑った。あと驚くほど俺得な大オチも、思わず「出た!」と声を出してないか心配である。もっとも劇場に他のお客さん二人しかいなかったけど。

思い入ればかりじゃアレなんで、批評めいたことも書いておく。じゃないとバカみたいだ。
全編通じて小粋な会話と軽快な編集で走り抜ける心地よさとオシャレさ、90分くらいの適切なコメディとしてサイズ、と仕上がりも良い。「童貞」とか「サブカルチャー」とか「バイオレンス」に頼らず、小粒ではあるがめちゃめちゃ観やすいコメディを作ったことだけでも称賛されるべき。こういう実は難しいことをサラッとやっている「上質なコメディ作品」がもっと評価されて=ヒットして欲しいけど、芳しくはないらしい、てのが現実。
あと構造で「上手いなあ」と感じたのが、この物語がヒロインによって「語られている」ものだということ。
あらすじの通り物凄く人間関係が狭く入り組んでいて、しかもそれが「偶然」居合わせるシーンの連続である。こういうコメディにはよくあり過ぎる展開だが、リアリティを著しく失わせる大きな要因でもある。
ヒロインは冒頭、このような発言をする。
「魔法を信じる。だって素敵じゃない?」
業界に溢れるシンデレラ・ストーリーは作り物かもしれないけど、奇跡みたいなことが起きる方が美しい。昔の映画みたいなことが「現実」じゃないなんて思う必要はない。
だから、ここで語られている出来事、つまりこの物語自体が、どこまで本当かなんて解らないのである。もしかしたらヒロインの創作した夢の成功譚かもしれない、そう冒頭で示唆されているのだ。実際、ちょっと突飛すぎる挿話も劇中で描かれれている。
そして、それが単なるリアリティ不足へのエクスキューズに終わることなく、ちゃんと物語のテーマともリンクしているあたりが、コメディの作り方として巧いなあ、と感心させられたのである。

あと、最後に後ろ向きなこと書くと、全く同じような作り方しても日本人でこれやられたら観てられないだろうな、と思ってしまった。こういう会話のテンポやウィットはそもそも日本人の肉体にないのかなあ、と。黒人のアフリカンビートみたいなものとして持っている洒脱さ。それとコメディは切っても切れないものだから、じゃあ我々日本人はどう戦うか。落語か。漫才か。悩んでしまうのである。




posted by 淺越岳人 at 01:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 芝居 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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